サワーブレッドとは?
サワーブレッドの起源
自然発酵のパンは、紀元前5000年頃すでにメソポタミアで焼かれていました。
小麦や 雑穀の粉に水を加えてそのまま発酵させると、まず乳酸菌が生育して酸を作りその後に酵母が働き、ガスを生成するのでふっくらしたすっぱいパンができます。
これがいわゆ 自然発酵のサワーブレッドです。
おそらく、その頃のメソポタミアのパンは、サワーブレッ ドの元祖ともいえる酸っぱいパンだったに違いありません。
現在も、ライ麦や小麦など、原料は違っても、ヨーロッパ全域に広がり、いろいろな方法でサワーブレッドは焼かれており、 地域によっては、食パンより好まれ、多量につくられています。
サワーブレッドは原料の穀類によって、
ライ麦粉でつくるライ・サワーブレッド、と 小麦粉のホイート・サワーブレッドに分けられます。
ライ・サワーブレッドは、おもにドイツから北欧、ロシアにかけてつくられていますが、
ホイート・サワーブレッドはライ麦粉に比べてふっくらと焼き上がるので、各地でつくられています。
乳酸菌と酵母
サワーブレッドの特徴は、芳醇な香りと強い酸味それにしっとり感ですが、この特性は乳酸を生成する乳酸菌と、香味を付与しパンを膨らませる酵母とが主力となってできあがります。
特にライ麦粉だけのときは、生成する乳酸によってドゥに粘りが付与され、パンとしての膨らみが保たれます。
サワー・ドゥの主役である乳酸菌については、1902年(明治35年)にホリンガーがその存在を認めていますが、それはリスターがはじめて乳酸菌を分離した1878年からわずかに24年後のことです。
それほど、サワーブレッドは古くからある身近な食品だったのでしょう。
その後は、ヘンネベルグ、ベッカード、シュルツなど多くの研究者によって、サワー・ドゥに関与する乳酸菌が分離同定されています。
工場で作られるライ・サワー・ドゥの乳酸菌とイーストの数の変化を時間と共に追ってみると乳酸菌は仕込みから8時間後には1g中10億個と最高価になり、イーストはやや遅れて10~12時間後に1億個を数えるようになります。
ドゥの中のおもな乳酸菌は糖質から乳酸のほかにエタノールや二酸化炭素を生成し、サワーブレッドの貢献するへテロ型のブレビス菌、ファーメンタム菌およびサンフランシスコ菌、それに酸味に関係する乳酸だけをつくるホモ型のプランタラム菌とカゼイ菌ですが、ホモ型とヘテロ型の割合はおよそ55対45といわれています。
ドゥに含まれる酸は乳酸と酢酸ですが、この割合がサワーブレッドの味覚に大切です。
ドゥの発酵温度を15Cくらいに低くするとヘテロ型乳酸菌がよく生育し酢酸が多く生成します。
反対に高温(35C前後)であればホモ型乳酸菌が多くなり、乳酸量が増えます。
酢酸と乳酸の比率は2対5付近がもっとも美味といわれますから、温度のコントロールが大切なわけです。
この乳酸菌群は、ドゥ一グラムの中に10億個前後いますから、指の先ぐらいの大きさのドゥの中に、日本の全人口と同じくらいの乳酸菌がいることになります。
そして、種類の違う乳酸菌であっても、不思議なことに、ドゥの中の乳酸菌は生きるためにすべて不飽和脂肪酸のオレイン酸を必要としています。
また、おもな乳酸菌であるプランタラム菌やカゼイ菌の標準株は必ずしもオレイン酸を要求しません。
オレイン酸を必須に要求することがドゥ乳酸菌の特徴といえるでしょう。
代表は、ライ麦パン(ライ・サワーブレッド)と小麦粉でつくるホイート・サワーブレッドです。
ただ、ライ麦粉にはグルテンがきわめて少なく、小麦粉のパンのようにはうまく膨れません。
しかし、乳酸菌によって乳酸が生成されるとタンパク質は粘弾性をもつようになり、どうにか膨らみが保たれて旨味も出てきます。
ただ、ライ麦粉の膨らみの保持は小麦粉のグルテンと違い、タンパク質やデンプンの固化によるもので、膨らみ方も少なく火の通りも悪い欠点があります。
また、ライ麦パンの固有の香味を失わないためにも小麦粉を加えたり、長時間かけて焼き上げるなどの手段が必要になります。
イーストの不思議
パン発酵をはじめるのは周知のようにイースト(酵母)です。
ところがサンフランシスコ・サワーブレッドは、みんなから愛されていながら、その製法も関係する微生物についても、調査、研究が長い間おろそかになっていました。
30年ほど前の1970年カリフォルニアにあるアメリカ農務省西部研究所のクラインとスギハラは手の付けられていなかったこの分野を解明しようと研究を始めました。
まず、サンフランシスコにある4か所のパン工場からサワーブレッドの命でもあるスターター・スポンジを手に入れ、200株以上のイーストと数百の細菌を分離してその特性を調べたところ、最初からおかしな現象を見つけました。
スポンジのイーストにはガラクトースを資化できるもののマルトースはまったく利用できないタイプと、それとはまったく逆の二つのタイプがあることがわかったのです。
そして、前者のイーストはすべての工場から、しかも数多く分離されました。明らかにスポンジの主要なイーストといえます。
パンの発酵では、小麦からのマルトースが重要な発酵のための糖となっています。
したがって、マルトース発酵能のあることがパン・イーストの大切な条件なのです。ところが、サンフランシスコ・サワー・ドゥの主要なイーストにはマルトースの利用能力がありません。
ただ、この楕円形のイーストは酸耐性が強く、ほかのイーストがなかなか増殖でいないpH 三・八くらいのドゥの中でも増殖します。
また、一般のパン・イーストと違ってタンパク質合成阻害剤のシクロヘキシミドに対する抵抗性ももっています。
三ツ星アーサーフロンマーホテルのサワーブレッド
オランダの首都アムステルダムに『ヨーロッパ一日十ドル旅行』の著者が経営する三つ星のアーサーフロンマーホテルがあります。
ここの朝食は、数種類のパンとチーズを自由に選べるビュッフェ方式でしたが、ライ麦粉に小麦粉を少し足して焼いたサワーブレッドの食欲を誘う芳香と口に広がる酸味の調和は、今でも思い出すほどすばらしいものでした。
この酸っぱいサワー・ドゥ・ブレッド(サワーブレッド、またはサワー種パン)は古くから自然発酵でつくられてきた酸味の強いパンです。
その基本的な製法は、ライ麦粉か、あるいはライ麦粉と小麦粉を混ぜたものに水をほぼ同量加えてバッター(穀類の粉に水を混ぜたもの)をこね上げ、4~6日間、毎日バッターを足しながら発酵させます。
その後三回ほど数時間の練り込みをおこなって、仕上げ種を作ります。
これがサワー・ドゥ・スターター(サワー生地種、または、サワー種)と呼ばれるサワーブレッドの発酵種です。
この発酵種は毎日繰り返し植え継がれ、次の生地に練り込まれます。
市販のイーストなどは使用せず、それぞれのベーカリーや家庭で芸術的につくられ大切に管理されてきた種で、中には100年以上も植え継がれてきた種もあります。
したがって、サワーブレッドをつくっている家ごとで特徴のあるパンができます。
日本酒が蔵ごとに違った酒が醸造されてくるのとよく似ています。
これがサワーブレッドの特徴ですが、サワー種は自然発酵種ですから、市販のイーストを使ったパンより手がかかりますし、発酵時間も長くなります。
それだけに複雑で見事な香味が付与されてきます。
アーサーフロンマーホテルのサワーブレッドが美味しかったのも、芸術的に発酵させ焼き上げたパンだったからでしょう。
手の込んだ方法で発酵させるサワー・ドゥは、自然発酵ですから粉や水、容器などからいろいろな細菌や酵母が混入してきます。
ライ麦粉または小麦粉に水を加えこねておくと、乳酸菌や酵母といっしょに雑菌も混じって発酵がはじまりますが、そのままにしておくと腐敗してしまいます。
フツフツと発酵が続いているうちに、粉と水を毎日練り込むと、酵母や乳酸菌がその度に選択的に増殖してきます。
その結果、しだいにこねたドゥは酸性になり、雑菌や腐敗菌は生育困難になって抑えられます。
そして、サワー・ドゥの発酵に重要でしかも乳酸に強い酵母が乳酸菌とともにますます増殖してきます。こうしてできあがったサワー・ドゥを使って焼き上げたサワーブレッドは、普通の食パンに比べ、すばらしい芳醇な香りと酸味の勝った豊かな食感が生まれ、またしっとりとしていながら日持ちもよいパンに焼き上がります。
サンフランシスコのサワーブレッド
サンフランシスコ湾の周辺では100年以上も前からさわやかな酸味のフランスパンがあり、人気を呼んでいます。
パンのクラストはパリパリしていてサワーブレッド特有の香味をもった味わいの深いパンで、これがサンフランシスコ・サワーブレッドです。
製品の2割近くはこの地域で消費されますが、アメリカ国内だけでなく、外国の旅行者が求めて帰るほど評判の高いパンです。
「小麦粉、水、塩にサンフランシスコ・サワーブレッドの固有のサワー種(マザー・スポジまたはスターター・スポンジと呼ばれる)だけを加えてつくられる、伝統あるサワーブレッドです。
このスターター・スポンジの由来は、はっきりしませんが、一九世紀の中頃、ピレネー山脈の西のフランスとスペインにまたがるバスク地方から伝わったといわれています。
おそらく、フランスかスペインからの移民がアメリカにもち込んだのではないでしょうか。また、イタリアのパネトーネ種とか、サンフランシスコで生まれたものという説もあります。
ともかく、すばらしいスターターですから、多くの研究者がこのスターターをもち帰り、種の再現と開発に心を砕き、細かい技術上のコツも学んで、そのとおりにつくってみましたが、再現はむずかしく、しだいにその特性が失われてしまいます。
日本のベーカリーでも、このスターターを分けてもらって手順どおりにつくってみましたが、繰り返し発酵させているうちに、このパンの美味しさが薄れてしまいます。
そこで、仕方なく、現在はもらってきたスターターから分離した乳酸菌と酵母で類似品のサンフランシスコ・サワーブレッドを焼いています。
どうもサンフランシスコでなければ、 うまくいかないようです。
発酵食品にはこれによく似た現象があります。
たとえば、日本酒醸造を見ても、すばらしい酒を醸し出すA蔵の酒酵母をもってきて、B蔵でつくっても酒はなかなかA蔵のようにすぐれた酒にはなりません。
チーズでも、味噌でも同じ現象があることはよく知られています。
だから、発酵食品は土地土地によって、また、それぞれの製造所によって風味の異なった製品が生まれているのです。
パン好きだけでなくグルメの人達に評判の高い
サンフランシスコサワーブレッドは、パン発酵に関わるスターター・スポンジが命と言えます。
このパン種は取り分けておいた前のスポンジを、使用する小麦粉と同量加えてつくります。種としてはたいへんな量です。
一方、水は全量の約二分の一というきわめて少量を加えます。
乳酸が多くなるとドゥが柔らかくなるので、これを避けるためでしょう。
また、小麦はタンパク質含量が14パーセントの高タンパク質のものを使用します。
これがパンに締まりと適度な歯ごたえを生み出します。
タンパク質の少ない小麦では生地がゆるくなり、うまく焼けません。これが、サンフランシスコ・サワーブレッドの大きな特徴といえます。
最初のスターター・スポンジのもとになる種は、まず高タンパク質の小麦粉に皮を剥いたジャガイモを加えて潰し、水をそそいでゆるめのバッターをつくり、放置しておけばイートの発酵がはじまって泡が湧いてきます。
その泡が消えた頃、もう一度小麦粉を加えてスンジをつくります。しだいに膨らんで倍になったらこのスポンジをスターターとして用いてパンをつくりますが、その一部を次の製パンのためのスターター・スポンジ用に取り分け、一日に二、三回種継ぎしてパン種としての活力を保持させます。
これで、毎日つくるサワーブレッド用のスターター・スポンジができあがります。
このスポンジの一部を低温で保管し、翌日の製パンに一部を使用し、残りは小麦粉と水を混ぜ10時間発酵させ次のスターター・スポンジをつくります。
サンフランシスコ・サワーブレッドは、このスポンジを種に小麦粉100に対して食塩 1.5と水60で生地をつくります。
このときの種は全量のおよそ10~15パーセントです。
そして、一時間ほど置いてから成形後ホイロ(最終発酵)をし、その後、蒸気をかけながら焼き上げます。
このように複雑な手段を経ないと、美味しいサンフランシスコ・サワーブレッドはできないのです。
イタリアのパネトーネのサワーブレット
イタリアのパネトーネPaneitone)は、世界のパンの源流でいるサワーブレッドの一つで、酸味もありますが、小さな花、平野川などを加えた山みの無いパンですから、菓子パンの仲間ともいえます。
イタリアでは小麦粉の硬質、軟質に合わせて北部のパン(パーネPane)、中部の麺(マカロニMacaroni)、南部の平焼きパン(ピッツァPizza)などをつくっており、パンでも細長いグリシーノ(Grissino)は全土に広がっていますが、パネトーネはイタリア北部でよく知られたパンです。
ところが、このパネトーネはサワーブレッドの一種でありながら、かなりな変わり者で、
イタリア以外では美味しいものができないのです。
しっとりとした深い香りのパネトーネは、コモ付近でしかつくれません。
種をもらってきて別の場所でつくっても、数回はそれなりにできますが、数カ月も経過すると独特の香りも味覚も失われてしまいます。
わが国にもパネトーネを製造している工場がありますが、ここでも三~四カ月に一回はコモの工場から空路で新しいパネトーネ種を運んでいます。
コモ付近の清冽な空気、すばらしい環境のもとに棲みついているコモの微生物でないとパネトーネ種は生まれ育たないようです。
手数のかかる複雑な発酵
ほかのパンやサワーブレッドに比べ、パネトーネの製法は手が込んでいて複雑です。
パンの発酵には、まず質のよいスターター(種)が必要で、それにはそのもとになるマザー・スターターが大切です。
いちばん最初のマザースターター種の誕生には、少し水を足した酸乳(ヨーグルト)に小麦粉を加えて発酵させたという説、昔は種づくりの袋に子牛の腸が手頃だったことから、初乳を飲みはじめたばかりの子牛の腸に小麦粉を入れておいたところ、子牛の腸内菌が作用し たという説などがあります。
パネトーネ種はたこ糸できっちり縛ってあり、ちょうど腸詰めのソーセジやハムに似ていることから、小麦粉を腸詰めにしたという説が有力なようです。
いずれにせよ、最初の種は植え継ぎの過程で酵母と乳酸菌の体質と発酵力が増強され、現在の種になっ たと思われます。
手にすると、燻したような香味もありますが、これも乳酸菌によるもので防菌防カビ作用があるようです。
市販のパンは 1週間くらいでカビが生えてきますが、パネトーネは三~四カ月以上たっても大丈夫です。
パネトーネ種を使用した菓子パンには、パネトーネ以外に、ギザギザをつけた縦形の黄色いパンドロ、平たい小さなパンドリーナ、イースターに食べられる鳩型のコロンバなどがあります。
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