麦味噌とねさし味噌は、日本の伝統の味。

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    味噌
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    麦味噌

    むぎみそ

     

     

     

     

    https://iimiso.com/

    麦に麹の花をつけ、塩と混ぜて木桶に仕込んで、季節によって2か月から半年寝かせる。
    南予宇和島の昔気質の味噌屋が、微生物の営みに合わせて仕立てる麦だけの味噌は、豆味噌との相性も絶妙である。
    麹かびが、はだか麦を食って醸す山吹色の甘く芳醇な田舎味噌

    生まれて、母乳の次に口に入れた食物は、おそらく味噌汁だったのではないでしょうか?
    赤子の魂にしみっいた味噌味の記憶は、きわめて保守的である。
    豆味噌文化圏の人は、甘い味噌なんてと眉をひそめるだろうし、片や麦味噌圏では、褐色の味噌汁にそっぽをむく。
    食物の味が似たり寄ったりになりつつある中で、断固地方の独自性を保っていて、実に頼もしい。
    味噌は原料によって、豆味噌、米味噌、麦味噌とあるが、一般的にはいずれも大豆を使う。
    大豆たんぱくは微生物に分解されて味噌の旨味になる。
    魚に事欠かないところだから、魚で濃厚なだしを引いたのだろうか、愛媛県南部南予地方の味噌は、麦だけで造る。
    麦麹が醸す淡い山吹色と、味噌らしからぬフルーティな香り、まろやかな甘さが身上である。
    旨味の豆味噌と甘く香る麦味噌を合わせれば、一段と旨い味噌汁になる。
    原料のはだか麦は、大麦の一種で粘りがあって味もよく、古くから団子や餅、酒を醸したり、粉にして麹や麦菓子にも用いられてきた。
    糖分こそ米にかなわないが、日本人に不足気味だといわれるカルシウムや鉄は米の3倍。
    カリウムやビタミンB1、B2は2倍。
    もっと見直されてもいいのに、冷遇されがちなのは、麦しか食べられなかった時代の後遺症だろうか。
    麦味噌はあっさり熟成である。
    重石の下に3年も寝かせる豆味噌とちがって、重石もせずに、夏は2か月、冬は半年で、完熟果実のような香をもつ色白の味噌になる。
    南予は平地が少なく、米もとれない。
    山の段々畑は、文字どおり「耕して天に至る」の図である。
    今は蜜柑果樹園だが、以前は段々畑一面の麦畑だったという。
    農家は6月に収穫した麦で、自家用の味噌や醤油を仕込んだ。
    種麹も前年の麦麹を乾燥させて各家でもっていたそうだ。
    種麹まで作る技術は、玄人はだしで、手前味噌の味はさぞかし個性豊かだったことだろう。
    「味噌に色がつきすぎても好まれませんし、白すぎても熟れてないんじゃないかといわれます。ここの人は色にやかましいです」
    一家言ある客の注文に、きめこまかに応じる宇和島の味噌屋·井伊良夫さんによると、 麦と大豆の割合から、米麹か麦麹か麹の種類
    まで指定して、我が家流手前味噌を注文してくる家も少なくないそうだ。
    腕に覚えがある客は、なかなかてごわいらしい。

    麦麹が色香と風味の決め手

    家族3人で営む昔気質の味噌屋は、一途に麦味噌しか造らない。
    温度管理の機械も、自動製競機もない。
    職人の経験とかんにものをいわせ、四季折々の気候に合わせて、麹菌のお守りをする。
    古びた粉砕機とミンチ機があることを除けば、すべて人力手動式。
    ごくごく小さな生きもの相手の作業である。
    「花がきれいにつかんといかんけん。麹が若いと、ええ味噌ができん」
    麹室の中で機嫌よく魅かびが繁殖すると、蒸し麦が白い綿毛に包まれる。これを「花がつく」という。
    若すぎず老いすぎずの、綿毛の匙加減がかんどころ。
    味噌の味は、麹のできにかかっている。
    「表面は花がつきやすいけど、両端は寒いので、遅くなるんです」
    種つけした蒸し麦を室でひと晩寝かせ、翌朝、「手人れ」といって花がまんべんなくつくように、波状に筋
    を入れて表面積を広げ、温度と湿気と酸素をまんべんなく与えてやる。
    麹かびは寒いと動けない。30℃から32℃に保ってやらなければならない。冬の間は小さな石油ストープが
    活躍する。動きだすと自分で熱を出すから、室の温度が上がる。
    暑すぎても死んでしまうので、室の天井の小窓を開けてやる。
    全開にするか、半開きか、隙間程度にしておくか。
    窓の開閉の匙加減は、外気温と室温の兼ね合いで微妙に違うという。
    まる一昼夜で、麦麹づくりが完了する。
    口に含むと、ほのかに甘い。
    麦麹に1割弱の塩を加えて混ぜ、ミンチ機にかけて、木桶に仕込む。
    このときは、甘くもなんともないただの塩辛い麦ベーストである。
    熟成期間は春3月から5月はおよそーか月。6月から8月盆までは2か月。盆を過ぎて10月までは4か月冬は5~6か月間。
    熟成の間に、塩辛さは手品のようにとけ失せて、熟した甘い風味が残る。
    季節や気温や湿度によって、熟成期間がちがうのは、菌の都合である。
    暖かく湿気の多い梅雨時には、もっとも活発に働く。
    麹菌は麦のでんぶんを食って、甘味を醸し、たんぱばく質を分解して旨味成分であるアミノ酸を生成する。
    甘いものに目のない乳酸菌や酵母が寄ってきて、せっせと糖分を食ってアルコールを生成し、芳醇な香が醸される。
    人間がするのは下拵えまで、本番の醸造場は木桶の中だ。
    効率を優先するならば、いくらでもかれらを急かすことはできる。
    百も承知で、無駄にもみえるこの時間を、昔、各家の母さんたちがそうしたように、味噌屋はあわてず騒がず待つのである。

     

     

     

     

     

     

     

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    ねさし味噌

    ねさし味噌麹作りは、寒中から桜の花の咲く頃まで。薪のかまどで炊いた大豆を挫ねてこしらえた味噌玉に、野生の菌がびっしりと生えて、ひと月ほどで豆麹になる。
    木桶に仕込んで丸2年。
    自然まかせで造る古式の豆味噌は、寝かすほどに旨くなる。
    雑草のごとき野生のかびが麹を作り、2年寝かせて味噌になる

    400年を超える伝統の豆みそ 佃さんのねさし味噌 安全な食べものネットワーク Alter[オルター]

    幼い頃にすり込まれた味は、根の深いもの。世の中でいちばん旨いのは、我が家の味哨である。
    なれ親しんだ味崎汁の、あの香りと色。
    真っ白い大根にとろりとかかっている甘味噌の色が、きつね色か黒光りしていなければならないかで育った地方も見当がついてしまう。
    徳島県の吉野川沿いで造られるねさし味噌は、大豆と塩で仕込んで、2年以上じっくり寝かせた辛口。
    黒に近い褐色の豆味噌である。
    くせのある独特の香と、濃厚な旨|味、その奥にかすかな渋みがあって味わいは奥深い。
    寒中に味噌玉をひと月寝かして菌を養い、仕込んで丸2年重石の下に寝かせて味噌にし、さらに寝るほどに旨味を増すので、ねさし。昔から地元では親しみを込めてそう呼ぶ。
    大豆だけで造る豆味噌は、奈良時代以前に、朝鮮半島の古代家高句麗人が伝えたといわれ、古くは高麗味噌とも呼ばれている。
    ねさし味噌の最大の特徴は種麹がいらないこと
    大豆を煮てつぶし、玉にして薬に寝かせ、自然にかびが生えるのを持つ。
    雑菌のもっとも少ない寒の時期を選ぶのは、気候を味方につけて、かびを応援するためだ。
    ねさしは、味噌蔵の主、野生の麹かびが造る味噌なのである。
    うんざりするほど も手もかかるというのに、時代をかいくぐって延々と1400年間も生き延びてきた、味噌の原形である。
    そう書くと、なにやらすごそうだが、戦前までは、 農家で自家醸造していた手前味噌なのである。
    個性が強いから、 匂いが鼻について食べられないという人もいるに違いない。
    好みは別として、 八丁味噌文化園の三河、尾張、美濃近退の人にとっては、五臓六勝にしみわたるなつかしい味がするはずだ
    天正13年(1585)秀吉の世に、尾張から阿波へ移封された蜂須賀家に従ってきた家臣が、阿波吉野川流域へねさし味噌の製法を持ってきたという。
    吉野川の伏流水と、水運を使って運ばれる塩、暴れ川流域の肥沃な土地で作られた大豆、頃合いの重石は目の前の河原で調達できた。
    味噌造りの環境は整っていた。
    辛口で貯蔵がきくねさし味噌は、かつては武士の兵糧だった。
    干し味噌を芋がらで縛って、腰に下げて戦に持ち歩き、干飯と芋がらを炊いて味噌弱にしたそうだ。
    川島町周辺では、今でもこれに似た、ねさし味噌仕立ての「おみいさん」という芋雑炊を作る。
    離乳食にもするという。赤ん坊は、母乳の次にねさし味噌の味を覚えるわけだ。

    窓と延で、麹かび好みの温度を保つ

    「ねさしは、さぶ寝がええで」江戸の中期から、吉野川の畔で味噌造りをする佃家のおばあちゃんの申し伝えだ。
    雑草のごとき野生の麹かびといえども無敵ではない。
    納豆菌に似た枯草菌に弱いのだ。暖か過ぎは禁物だ「とろいことしてたら、納豆になってしまう」
    薪のかまどで、ふっくら炊き上げる大豆だから、さぞかし旨い納豆ができるだろうが、それでは味噌屋はあがったりである。
    ねさし味噌造りは、豆麹造りにつきるといっていい。
    仕込みができるのは、麹かびが雑菌に邪魔されず元気よく働く、 寒中から桜の花の咲く頃まで。
    豆麹が「さぶ寝」のできる2か月間に限られる。
    明治時代の味噌蔵の2階に、70坪ほどの麹室がある。
    日中、麹室の窓は開けっぱなし。寒中の味噌蔵に、冷たいからっ風がよく通る。
    天井に届く棚の維の上に、麹かびを生やした味噌玉が、何千と隙間なく並ぶさまに、ちょっとたじろいだ。
    森閑として静まり返っているのに、生きものの濃厚な気配を感じる。
    微生物が夜のうちに出す熱気で、窓ガラスにびっしり水滴がついている。
    「人間も暑いなあと思えば、窓を開けるでしょう。かびだって同じです」
    かびと同じ屋根の下に暮らしている佃勇治さんはいう。
    寒寝の夜はむしろの布団を着せてやり昼は汗をかかないようにと、窓を開けて風を入れる。
    麹室の温度調節は、窓とむしろである。
    大釜で4時間、柔らかく煮た大豆をつぶし、握ねて空気を抜き、枕形に丸めて味噌玉を作る。
    ひと晩おいて、包丁で3㎝厚に切って室の味噌むしろに並べる。
    味噌玉はまだ茄で大豆のいい匂いだ。
    一週間もしないうちに、空気中の麹かびがくっついて、うっすらと天然の白い麹かびが生えてくる。
    ほどよい温かさと、湿り気があれば、旨い茄で大豆を食べた麹かびは素直に繁殖して、豆麹になる。
    育てやすいが、寒すぎると何日もじっと動かず、気をもませる。
    そのくせ気温が急に上がると、一気に増殖して自滅してしまうこともあり、油断がならない。
    2週間たつと、銀灰色の麹かびが綿を載せたように、味噌玉の表面をびっしりと覆う。
    こうなると、もう単なる大豆の塊ではない。
    大豆香は消えチーズとも味噌ともつかぬ、えもいわれぬ甘い香りが立ちこめる。
    麹かびさまさまの威力である。
    「熟したこの匂いで、味噌玉の割りどきがわかります」
    4つに割って1週間もすると、
    面にもかびが生える。さらにおいて中までかびが食い込んだら、風にあてて水分を飛ばす。
    「かびが食い込むほど、味噌にこくがでます」
    寒中とはいえ空気中には、様々な雑菌がいるわけで、それらとせめぎ合い、有害菌にも打ち勝ってもらわ
    なければならない。
    「昔からしよる時期に、無理せんとしたらいいんです」
    時がくれば、なるべくして豆麹になるのだという。
    豆麹を味噌桶に仕込んで、発酵の進む土用に天地を返し、ぎっしりと重石を載せて寝させる。
    麹造り約1か月。重石の下に丸2年、3年目にやっと晴れて豆味噌になる。5年寝させれば、なお味わい深い。

    塩気もこくも味そのものが濃いから、味噌汁なら普通の味噌の半分でいい。
    たっぷりのいりこや生魚で、濃いめのだしをとり、甘めの米味噌や麦味噌など白味噌と好みの割合で合わせ味噌にすると、味噌の妙味が楽しめる。

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