蒸留酒の登場
「蒸留」の歴史
日本酒、黄酒(老酒とも呼ばれ紹興酒はその代表)、ビール、ワインなどは、酵母によって発酵された発酵液をそのまま飲むもので「醸造酒」と呼ばれています。
焼酎、白酒、ウイスキー、ブランデー、ウォツカ、バーボンなどは、発酵を終えた醸造酒を燕留したもので「蒸留酒」と呼ばれています。
蒸留酒の歴史が醸造酒よりも新しいことは言うまでもありません。
醸造酒は生物学的工程だけであるのにたいし、蒸留酒の製造には「蒸留工程」という物理学的工程が付加されるからで、誰にも理解しやすい説明になります。
人間が「蒸留」を発明したのは古く、紀元前3000年頃、世界最古の文明発祥の地であるメソポタミアに蒸留器がすでに存在していたと言われています。
紀元前四世紀に生きたギリシャの哲人アリストテレスは「海水から蒸留によって真水を得ることができ、また、ワインも蒸留できる」との記述を残しています。
しかし、蒸留技術が蒸留酒の製造に広く用いられるようになるのは13世紀以降のことです。
蒸留技術の発達に搭別に大きく寄与したのは、東西交流、東西通商の接点であった中近東地域に住む人だちでした。
錬金術や秘薬をはじめ、当時貴重な貿易品であった香料、香辛料などにかんする研究が盛んで、利殖や一提千金に熱意をもち続けました。
現在の科学知識から判断すれば、多くは怪しげなものに見えるが、蒸留によって物質成分が純化され、濃縮化されるという太古の人々の叡智の再発見、ないし再確認がなされた意義は大きいといえます。
蒸留技術は、この地域から各地各分野に広まり、利用されるようになったのです。
蒸留酒製造技術がわが国に伝来したのは15世紀中葉、タイ国から沖縄に伝えられて伝統的本格焼酎「泡盛」の先駆けとなる蒸留酒を生み出したのが最初です。
永正一二(1515)年、沖縄(当時は琉球王朝)から鹿児島(当時は薩摩藩)に唐焼酒、老酒、焼酒(琉球産)が贈られ、鹿児島の人々は新しい酒を知りました。
焼酒は焼酎と同じ意味であろうと考えられます。
天文一五(1546)年、来航したポルトガル人は、薩摩山川港で薩摩人たちが米から造った焼酎を飲用しているのを目撃して、ザビエルに報告した記録があります。
琉球王朝から薩摩藩に焼酒が贈られてからわずか31年しか経っていないこの時期に、薩摩で米焼酎が造られ愛飲されていたことが分かります。
この落書きにある「焼酎」がわが国における焼酎という文字の初見で、酒の歴史の上で大きな意味をもつものとなりました。
薩摩の棟梁も意外なところで大きな文化活動をしたことになります。
同時に、この落書きは、焼酎が鹿児島地方で短時日のうちにかなり普及していた証拠ともなるものです。
鹿児島で盛んに造られ、飲まれるようになった蒸留酒は、やがて九州一円に広まって次第に勢力を拡大し、いろいろな焼酎原料を開発しつつ、多様な「本格焼耐」を各地に生み出していくことになります。
最初となったのは薩摩の焼酎造りでした。
蒸留酒の登場は、人間の酒造りにどのような影響をもたらすことになったのでしょうか。
蒸留にかんする知識や技術は、かなり古くから知られていたことはすでに触れました。
しかしながら、世界各地で蒸留が酒造りに本格的に利用されるようになるのは一三世紀から一七世紀にかけてのことで、酒の長い歴史から見れば新しいものです。
蒸留酒がタイ国から沖縄に伝えられた時期(一五世紀中葉)は外国と比べて決して遅くはなく、さらにこれが鹿児島から各地に急速に拡大定着されていく16~17世紀の九州各地の動きは、多くの創造性と叡智を見せつつ世界に誇れる銘酒を独力で育てていくものでした。
蒸留酒が各地に伝わって盛んに造られるようになる時期は、
中国では一三世紀の元代のことで白酒を生み、
タイ国では一四世紀、
そしてタイ国から沖縄には前述のように一五世紀中葉のことで「泡盛」の前身となる蒸留酒を造り、さらに16~17世紀初頭に鹿児島に伝えられました。
また、ユーラシア大陸の北方には
一四世紀に伝わって「ウォツカ」を生み、
西は一五世紀末葉にアイルランドで「ウイスキー」を、
一七世紀のフランスで「ブランデー」を造り出しました。
このような歴史経過を見るとき、わが国南部の蒸留酒が、歴史的にも品質的にも立派なものであり、創造性の発揮についても他国の例に勝るとも劣るものではないことが分かります。
醸造酒の場合、日本酒のように極度に原料を研磨して酒の香味の純粋性を実現する方法や、ワインのようにぶどう品種の神経質な選択、ホップの香りと苦みをうまく活用したビール、(酒薬)の妙で飲ませる黄酒(老酒)など、香味の快適さを実現するための努力がいろいろとなされました。
また、飲用温度についても、醸造酒には大きな気配りが見られます。
つまり、醸造酒は、その原料のもつ特性や飲用条件について、蒸留酒よりも制約が大きいと言えます。
蒸留が物質の純化と濃縮化に効果的であることは、酒に用いられる原料の分野をいちじるしく拡大することになりました。
醸造酒に用いられる原料は当然のこと蒸留酒にも用いられますが、
蒸留酒であるがゆえに思いがけない原料も使えるようになり、次々と新たな酒を開発しました。
本格焼酎では、
サッマイモ(鹿児島など)、ソバ(宮崎、長野など)、ジャガイモ(北海道など)、カボチャ(北海道など)、ナガイモ(青森)、ゴマ(福岡)、ニンジン(福岡)、菱ひし(佐賀)、ヤマイモ (鹿児島)、サトイモ(鹿児島)など、多彩です。
世界各地でも同じ傾向は見られ、
トウモロコシはバーボン、ライ麦,ジャガイモ·トウモロコシなどからウォッカやジン、廃糖蜜でラムなど、竜舌蘭からテキーラ、雑穀を原料に白酒、等等をあげることができます。
また、このことは酒を楽しむ地域をも飛躍的に拡大しました。
それだけでなく、各地に住む人たちの日常生活や食生活に深みと複雑な味わいをもたらし、叡智の発現の機会を高くし、より豊かな精神生活を形成していくための大きな動因ともなったのであります。
先にあげた諸原料のうちには、蒸留あっての酒原料といったものが含まれています。
蒸留酒の出現は、酒になりうる原料を「主食依存」から解放したことにあり、その意義は極めて大きいと言えます。
さらに注目すべきことは、
酒の飲み方のバリエーションにたいする蒸留酒の活躍ぶりでしょう。
混合、希釈、加温、冷却、添加など、飲用時に可能ないろいろな工夫や新発見が楽しめるのは蒸留酒の独壇場で、好きなやり方で飲むたびに新しい酒を創造して楽しむことができました。
醸造酒ではこのような操作はあまりなじまず、適温のものを生一本の形でやるのがベストであることが多いのです。
蒸留酒の登場は、疑いもなく、酒の世界をすこぶる賑やかで楽しいものにしてくれたと言えるでしょう。
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