ビール醸造と酵母の純粋培養
ビール醸造に使われる酵母の純粋培養法はハンセンによって発明されました。
この発明は、リンデによるアンモニア冷凍機の発明、パスツールによる低温殺蘭法の発明と合わせ、ビール製造技術史上の三大発明として評価されているものです。
ハンセンが発明した「酵母純粋培養法」は、醸造酵母と異種酵母が混在する中から、醸造酵母のみを単一に選び出し、これを純粋に増殖する方法で、パスツールの指摘したバクテリアの弊害もハンセンの指摘になる異種酵母の弊害も、一挙に解決する画期的なものでありました。
古くからの酸造とハンセンの純粋培養法による醸造の決定的な違いは、ハンセンの方法が、「磯造の場」て働く酵母が「単一の」酸造酵母から純粋に増殖され、雑菌や異種酵母をまっったく含まないことを確実に保証しているところにあります。
ハンセンの方法の導入によって、醸造現場の科学的管理が可能になりました。
ビール醸造で、雑菌類や異種酵母の影響をてきるだけ排除するために、先人たちが発揮した叡智には次のようなものがありました。
一つは迅速な発酵です。
すなわち、発酵のスタートの時点で大量の酵母を添加して旺盛な発酵を行わせ、短時日で発酵を終えるようにします。
大量の酵母投入によって、酵母が圧倒的に支配する環境を発酵液中に造り出し、雑菌類が増殖して活躍する余地(隙間)を与えないようにします。
酵母の大量投入による迅速発酵は、微生物管理の手法が進歩して雑菌類の懸念がまったくなくなった今でも、過去の名残で行われており、主発酵工程は10日前後という短時日で終えるように進められるのが普通である。
もう一つは低温発酵への努力です。
低温でもよく発酵する酵母を選定使用することにより、異種酵母やバクテリアの弊害を小さくしようとするものです。
野生酵母やバクテリアは低温で死滅することは少ないが旺盛な活動や増殖は見られなくなり、低温に強い醸造酵母のみが支配す
る発酵環境が実現するわけです。
冷凍機のない時代に、低温発酵を実施することは、天然氷の確保など苦労もあったが、醸造されたビールが美味であることもあって、熱心な醸造家によって実行されていました。
低温に強い酵母は、発酵の終末期に沈降する性質をもち、従来の発酵終末期に浮上する酵母とは違うものでした。
発酵の終末期に沈降する酵母は「下面発酵酵母」、この酵母による発酵は「下面発酵」と呼ばれ、冷凍機の発明以後、ビール業界で
ますます優勢になっていきます。
下面発酵は低温で長期の熟成貯蔵を要し、通常ラガー·ビールと言われるビールになります。
現在、世界のビールの大勢はこのラガー·ビールであるが、イギリスで勢力を保つエール、ビターや、ドイツのアルト、ケルシュと呼ばれるビールは上面発酵ビールで、低温の熟成期間を必要としないものです。
醸造酵母の純粋性の追求と低温耐久性の高い酵母の探求が上面発酵ビールに加えて、下面発酵ビール (ラガー.ビール)をたくましく育成する契機となり、ビールの二大ジャンルを形成していく動機づけにもなったのです。
今に生きて嬉しいことは、上面発酵酵母と下面発酵酵母といった二つの酵母を自由自在に活用することによって、個性のある二つのタイプのビールを存分に楽しむことができること、また、ビールの世界がワインに並ぶほどに豊かて賑やかなものに大きく変貌したことです。
下面発酵酵母の代表はサッカロミセス・カールスベルゲンシ(Saccharomyces carlsbergensis) と命名されて分類されている酵母です。
これはハンセンが世界で初めて単離して純粋培養した優れた下面発酵酵母である「Carlsbergbottomyeast No.1」にたいする命名です。ちなみに上面発酵酵母はサッカロミセス・セレビシエ(Saccharomyces cerevisiae)と呼ばれています。
両酵母は発酵終末期の「振る舞い」の違いによって区分されたものであるが、分類学的には近縁ときれ、両酵母をサッカロミセス・セレビシ工に包括する研究者も多い。
ハンセンは、下面発酵酵母は上面発酵酵母から突然変異により生じたという考え方でありました。
突然変異の概念はド·フリースやダーウィンらによって提唱され、名声を両人に独占されているが、ハンセンもみずからの研究過程の中で、ド·フリースらと同じ概念を独自につかんでいたことは注目に値することと思えるのです。
ビールの泡
二酸化炭素(炭酸ガス)を溶け込ませた酒は、ワイン、日本酒、蒸留酒などにも見られ、さして珍しいことではないが、二酸化炭素を含むことが不可欠な酒はビールのみでしょう。
ビール中の二酸化炭素は、清涼感を高め、適度に胃壁を刺激して食欲を増進し、消化活動を活発化するものです。
また、ジョッキに注いだとき、遊離する炭酸ガスによってビール表面に泡を形成する働きをします。
この泡は、ビールが空気に接触し、酸化されて香味が劣化するのを防止する役割を果たします。
したがって、ビール表面に適当な厚さをもつ泡が形成され、しかも飲用中、その泡がビール表面に消滅せずに残留していることが重要になってきます。
つまり、適度の泡立ちと泡持ちが求められるわけです。
これら二つの泡の性質は、ビールに含まれるコロイドの成分によって大きく違ってきます。
コロイド成分は原料である麦芽やホップからきたものですが、ことに泡立ちにはホップに含まれる「ホップ精油」が、また泡持ちには麦芽由来の水化物や蛋白質の分子量の大小が、大きな役割を演じています。
厄介なことに、「泡の持続性(泡持ち)」と、先に触れたビールの「透明度の耐久性」とは、相互矛盾の関係にあって「あちら立てればこちら立たず」なのです。
ビール醸造技師たちが苦労するのは、これら両者のほどよいバランス調整にあります。
透明度の耐久性を追うあまり、泡持ちの劣る味気ないビールになってしまうのも困るし、泡持ちの向上を追うあまり、瓶·缶詰ビールの
透明度がすぐに落ちてしまうのも困るわけであります。
ビール醸造技師たちは、これら両者の調和をはかり、クリーミーで持続性のある泡をもち、味は芳醇で「喉ごし」良好、しかも保存性(日持ち)のよいビール造りを求められているのであります。
ビールの原料麦について。
日本酒は米が原料ですが、穀物という点では同じです。
ビールの原料にされる麦は主に大麦ですが、小麦が使われることもあります。
麦は粒の大きいものが好ましく、大麦の中でも二条大麦(わが国ではビール大麦と呼ばれることが多い)が使われています。
四条大麦や六条大麦は、二条大麦ほどには粒が大きくなりにくく、粒内の澱粉質含有割合が低いことがビール原料にされない理由です。
ビールの原料ときれる麦は、発芽によって糖化や蛋白質分解などに必要な酵素群を十分に生産する能力をもつと同時に、アルコールになる澱粉質を多く含むものであることが採算をよくする上で強く求められます。
二条大麦はこれらの条件によく合致するものです。
ブドウ果汁から造られるワインは、果汁に酵母さえ添加すれば発酵が始まってワインになることは先に述べました。
穀物から酒を造るには、ワインの場合よりも複雑で、殺物のもつ多糖類です。
澱粉を、ブドウ果汁に含まれるような発酵可能の単糖類、少糖類に分解(糖化)する必要があります。
澱粉糖化によって得られる単糖類にはブドウ糖、少糖類には麦芽糖などがあります。
澱粉のままでは酵母によるアルコール発酵は始まりません。
澱粉を糖化するには糖化酵素が必要です。
この糖化酵素はカビによって生産されるが、麦芽(代表は大麦麦芽)もよく糖化酵素を生産します。
糖化酵素源として、わが国を含めアジア系の酒はカビを、ヨーロッパ系の酒は麦芽を活用します。
麦芽を使う酒の代表格はビールです。
麦(大麦、または小麦) からビールを造るためには、まず麦を麦芽に加工します。
麦を加工して麦芽を造る目的は、澱粉や蛋白質などを分解するための諸酵素群を得ることにあります。
同時に、麦粒中の澱粉や蛋白質などを自身の生産した酵素であらかじめ低分子に分解させておいて、仕込み工程を効率よく進める前準備をすませておくことにあります。
麦に酵素群を造らせるには、麦の生命現象である発芽活動を借用することになります。
麦粒を水に浸して麦粒水分を43~45%程度にまで上げます。
麦はこのような水分を得て旺盛な呼吸を始める。麦粒中の水分上昇に合わせて呼吸に必要な酸素(空気)も十分に与えるようにする。
所定の水分を得た麦粒は通風のできる床に広げられ、加湿空気を通気しながら摂氏13~17度で発芽させます。
大麦は盛んな呼吸をしながら幼芽と幼根を伸ばし続け、麦粒中に糖化酵素をはじめ生命現象の発揮に必要な諸酵素群を生産して蓄積します。
根と芽を伸ばした麦粒は「モヤシ状」になってきます。
根はかなり伸長し、また幼芽も粒の長径くらいまでは伸びています。
麦芽は麦ののモヤシと言われるゆえんです。
この段階に達すると変粒中には糖化継素をはじめ諸酵素群は十分に生成されています。
このモヤシ状の変粒は加熱空気を通風しながら徐々に乾燥されます。
最終的には摂氏85度前後にまで昇温され、麦粒水分が4%前後になるまで乾燥されます。
伸長した根は乾燥により脆くなっており、脱根機によって完全に除去されます。
このようにして遠られたのが「麦芽」です。
乾燥温度が最高摂氏八五度くらいで乾燥された麦芽は、色はそれほど濃くはなく、淡色ビール
用麦芽となります。
黒ビールのような濃色ビール用の変は摂氏90~115度くらいまでに上げられて麦芽の色を遺くし、また、香ばしい焦げた香りをもった麦芽に仕上げます。
さらに変芽の色を濃くする目的で、いって焦がした麦芽もあり、黒ビールの原料として混合(プレンド)使用されます。
ビール、ウイスキーの醸造原料であると同時に優れた酵素剤でもある麦芽は、水分が少なく貯蔵性が常によくサイロに収容しておけば長期の保管もできます。
色や香りなどの品質特性が違う各種変芽は、醸造されるビール品質に合うよう、必要に応じてプレンドされて仕込まれることになります。
酵素群を合む醸造原料である麦芽の第一の長所は、この貯蔵性のよさにあるでしょう。
わが国のビール、ウイスキー業界が使用する麦芽の80%以上は輸入に依存しています。
国産麦芽に比べて価格が四分の一~五分の一と安価であることが主な理由あるが、麦芽の貯蔵性がよく、良品質のものなら世界のどこからても、麦芽の品質劣化の懸念なしに輸入てきることも大きな理由です。
ビールの色調や色の濃淡は使用される麦芽によってもたらされます。
黒ビール、淡色ビール、あるいはその中間色のビールなどは、麦芽のプレンドによって生み出されるわけてあります。
いろいろな麦芽の存在が、色調、濃淡、香味などの面、ビールの多様化実現に大きな役割を果たしているのです。
ビールのもう一つの主要原料ホップについて
麦芽と並び、ビールのもう一つの主要原料にホップがあります。
ビールと言えばホップを連想するほどに、ホップはビールの香りや苦味はもちろん、ジョッキにつがれた泡や、瓶·缶詰ビールの日持ちなどにも大きな影響をもつ重要な原料です。
ホップは桑科に属する多年生の蔓草で、温帯冷涼地によく成育します。
わが国の山地に自生するカラハナソウも同属です。雌雄異株で、夏に黄緑色の花をつけます。
ビール用には楕円形、松桂状の雌花だけが対象で、しかも未受精のものが用いられます。
今ではビールにとって不可欠の大切なホップも、ビール原料として定着するまでには長期にわたり、多くの試練を経験してきました。
醸造酒の中で、日本酒やワインは香りや味を改善する目的で香草(ハープなど)が添加されるようなことは極めてまれです。
ところがビールは、その起こりの早い時期から、香りや味に特徴のある香草のたぐいを添加して賞味しようとする傾向が強かった古代エジプトはビールを愛飲するビール王国でした。
しかし彼らのビールにホップの使用はなかったが、ホップ以外の香草の使用については否定できません。
醸造工程で添加するか、飲用時に添加するかは別として、ハープのたぐいが利用された可能性は高い。
古代エジプト王国の人々は、香科、防腐剤、顔料などについて高度の知識をもっていたことから見て、ビールにたいしてもいろいろの工夫をしたでしょう。
ビールに香草を添加し、香味を改善して賞味しようとする意識がほかの酒よりも強いのは、麦芽を丸ごと仕込んでできてくる酒(ビール)の香味の複雑さ、飲みにくさに起因すると考えられています。
ビールの本場、ドイツのピール研究者たちもこの点を指摘している。
日本酒やワインの原料はビールに比べてシンプルで、醸された酒の香味もシンプルで、すっきりしていて飲みやすい。
一方、香草を使わないビールを考えてみると、原料である麦芽から由来する「過剰な複雑さ」が香りと味に目立ち、しかも、どちらかというと飲用者に好まれないものです。
このような酒の香味改善のために香草の使用を思いつくのは自然の成り行きでしょう。
先人だちの優れたセンスは、ホップを選び、その使用にょって、ビールの香味を見事に改善し、酒類の中ても屈指の「切れ味」と「喉ごしのよさ」をもつ酒に変身させたのです。
ホップが最初にピールに使われたのは、西暦二〇〇年頃、バビロンの人たちによってでした。
その後、ホップは徐々に広く使われるようになっていくが、まだ多くの添加香草類のうちの一つでした。
西暦七三六(聖武天皇·天平八)年、ドイツはミュンヘン近郊のハラタウにホップガーデンが設けられてホップ栽培がなされたと言われます。
ビールに添加される香草類のうちで、長らく王座を占めたのがグルートと呼ばれるものでした。
グルートは単一の香草ではなく、テンニンカ、マンネンロウ、ノコギリソウなどの混合物です。
グルートの王座は一四世紀までは揺るぎなく続いたが、その間もホップはもてる魅力を多くの人に認めさせて着実に勢力を拡大しました。
15世紀になるとホップはグルートと肩を並べるほどになっていました。
ホップに負けまいとするグルート派は、いろいろとホップ使用を妨害するが、グルートの劣性、ホップ優勢の趨勢は各地で明らかになっていきました。
ホップの勝利を決定づけたものに、1516(永正一三)年、ドイツ・バイエルン公ヴィルへルム四世により公布きれたビールの「純粋令」が あります。
この法令は「ビールは麦芽(大麦)、ホップ、水によって製すべし」というもので、使用する原料を限定したものです。
この頃のビールには、着色に煤すすを使ったり、 汁の煮沸が不十分なものがあったり、麦芽使用割合が極端に低いものがあったりして、飲用する市民の健康が懸念されるビールが多かったと言われています。
ヴイルヘルム四世の法令公布の目的は、市民の健康を守ることにあり、今ては世界最初の「食品衛生法」的な機能を発揮した法令として評価されているものです。
この「純粋令」の施行は、グルートを放逐するものであり、ホップの勝利を決定的にするものでありました。
ホップをめぐる当時の情勢が、グルートを放逐してホップの使用のみに絞り込んでも支障がないほどに機が熟していたことが、この法令の施行を容易にし、また、バィエルン地方にとどまらず、おおむねドイツ全域に広く施行されるようになった大きな理由でありました。
純粋令の布·施行はグルートからホップへの移行を速め、ホップの完勝を実現することに大いに寄与したが、この法令がなくともホップは早晩、グルートを放逐したであろうと思われます。
ホップはなぜグルートに勝ちえたのでしょうか。
何よりも大きな理由は、ホップ·ビールがグルート・ビールよりもうまい、香味が優れている、と飲用者に感じられたことにありました。
ホップのもつ上品な香りは、心地よいアクセントとなってビールの香りを引き立てる働きをします。
苦味を賞味できるのは人間だけと言われるが、ホップの苦味は口に残らず、爽快感をもたらし、また、 ホップ由来のタンニンはビールの味を引き締め、冗長感をなくするものでありました。
タンニンは麦芽由来の過剰な蛋白質と結合して沈降させ、取り除く役割もします。
このようにして、味は軽快となり、「喉ごし」や「切れ」のよいビールにします。
ホップがビールと結びついて定着し、香味を飛躍的に向上させたことによって、ビールの格は上がり、ワインの風下におかれがちであったビールが、ワインと対等、ないしそれ以上の立場を確立することができたのです。
香草に詳しい(ビールにもうるさい)ある植物学者の見解によると、グルートではホップのような爽快な「喉ごし」や「切れ」のよいビールを造り出すのは難しいとの見解でした。この見解は正しいでしょう。
さらに願ってもないことには、ホップの苦味成分がかなりの殺菌作用、抗菌作用をもっていることであります。
すべてのバクテリアに対して有効というわけではないが、グラム陽性菌に属する広範囲のバクテリアに殺菌、抗菌効果を見せます。
微生物管理の知識と手法が進歩した現在、ホップのもつ制菌能力は犬きな意味をもたなくなったが、グルートにはない利点として古くは高く評価された特性でした。
ホップ・ビールは、グルート・ビールに比べて、雑菌による好ましくない影響を受けることが少なかったと言えます。
ホップのもつ制菌能カ以上に注目されるのは、ホップのタンニンの働きです。
先に触れたように、ホップのタンニンは麦汁中に存在する過剰な蛋白質と結合してこれを除去し、ビールの味をすっきりとした、切れ味のよいものにします。
このタンニンの働きは、見方を変えれば、ビール中に過剰に存在する混濁物質を減少させたことにもなり、瓶·缶詰ビールの透明度を長持ちさせる効果(つまり耐久性の向上)をもたらすものであします。
わが国のように、瓶缶詰ビールが圧倒的に多く、全国津々浦々にまで搬送され、また飲まれるまでに相当の日数経過を見込まねばならぬ消費形態のところでは、ホップのタンニンによるビールの「耐久性の向上」の効果は大きな意味をもつものであります。
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